昔の話・・・その1;ライダー

何十年振りかで、“浅見 貞男”さんに会った!浅見さんが現役のころ富士スピード・ウエイ”のレースにヤマハOW750(2ストローク・4気筒)で出場するのにメカニックのまねごとでついていった。当時のレースは、クラッチ・スタートではなく、押しかけスターである。2〜3歩ぐらいでクラッチ・ミートすればエンジンがかかる。その後レースの規則が、エンジンがかからないバイクを長い間押しかけしている車両に後続車が追突する事故などがあり、現行のスタイルになった。当時のスピード・ウエイは4.2km右回りであつった。スピード・ウエイの回り方は色々変ったが、それはまたの機会にする。私は2輪&4輪で何回も走っているが、何しろコース幅が広いので、どこを通ってもOK、またどこからでも抜けるようであるが、本当のラインは1本しかない。また、最終カーブなどは、2輪でも速度が高いので遠心力で左側のコンクリートの壁のほうに寄せられてゆく恐怖感がある、最終カーブを立ち上がると、おそらく日本で最も長い直線になる。(現行のバイクであれば、300km/hは軽く超えられると思う)。バイクだと、伏せていても背中に乱流が発生して体が押し付けられる。

前置きが長くなったが、記憶をたどると、浅見さんを尊敬するのは、菅生のサーキットで、キングこと“ケニー・ロバーツ”の前をタイヤが垂れるまで最終ラップの1〜2周前まで走り残念ながら、2位になったレースである。さすがのケニーも内心真っ青だったと思う。確かウエット・コンディションだった記憶である。

それよりも、凄いのはヨーロッパのボルドー24時間耐久レースで確か2位になったことである。ヨーロッパはモータースポーツの歴史が長いせいで、耐久レースが盛んである。私もフランスの“ベルジュラック”(シラノとベルジュラック、のベルジュラックで、町の広場に銅像がある。パリから750km位)にいたことが在るが、彼らの生活様式、家等を見ると納得ができる。また、時の流れがゆったりと感じられる。

出場したバイクは、ヤマハ・2ストローク 750である。耐久レースで2ストロークで出場するというのもすごい挑戦だと思う。当時の750のクランクでは24時間持たないだろということで、マーレー社に一品物のクランクを作らせた
が、レース終盤になりクランクのウエイトがずれてきて8000RPMぐらいしか回せなくなり、残念ながら2位という結果になった。

日本人のライダーが日本製のバイクでの快挙だと思う。もちろん、浅見さんはヨーロッパで耐久レースだけでなく、普通のスプリント・レースにも出場していた。

ちょっと、前までは、マスコミが騒いでいるサムライ・ジャパンとかでなく、モター・スポーツでは海外に出て行きそれなりの結果を出していた。昔の日本人はすごいのである。GP125などは日本人ライダーが“1、2、3”位を独占していた。また、インタビューでも現地の言葉で流暢に対応をしていた。ライダーの語学能力は優れていたのである。
昨今では、菜食男子&肉食女子などという言葉を聞くが、外国では違うだけどな〜日本は異質なのかも?

辛口になるが、現行の各スポーツ選手もマスコミに振り回せられないで語学のほうも頑張ってもらいたいものである。

現在、浅見さんはホワイト・パーワー(WP・ショック・アブソバー)等で“浅見レーシング”で活躍している。