昔の話・・・その3;船橋サーキット

千葉県船橋市浜町に1965年7月1日〜1967年7月までの2年間営業していた。今で言う総合健康ランド・遊園地で温泉等があった。設計はビェール・タルフィ氏、直線600m、25RのS字、20Rのソックス・カーブ、360Rのコーナー。
そこで4輪のレースがあるというので東京から近いのでスバル360で友人数人で観戦に行った。

出場車種は、プリンス・200GT・B(直列6気筒、SHC、トリプル・ウエバーキャブ)、トヨタS800、ホンダS600.スバル360.出場選手はプリンス7人の侍(砂子、横山、等)、トヨタは故浮谷藤次郎、ホンダは生沢徹、スバルは、上州オートクラブの親分の小関などであった。

レースは、S800とS600のバトルに何とすばる360が食らいついて善戦していたのが強烈な印象として残っている。レース的には、排気量の順番通り的になっていったが、コースが狭く小さいせいもあって、それほど、排気量の差はなかった。

レース中でも、邪魔しなければピットまで行け、メカニックの仕事ぶりや会話も出来た。2000GTBが数台出場していて、その中の1台がマフラーから青白い煙を吐き出したら、ピットに入れて、メカニックはSTPの添加剤を入れて送り出し最後まで完走した。(後で調べたらSTPは極小ポリマー分子)メカニックに聞いたらエンジン・オイルは日石のスーパー・ミリオンというオイルで農工機などにも使用している。当時で60円/Lぐらいだったと記憶している。勿論、始めからSTPを入れて1回ごとに抜く)。

スバル360は、群馬から自走で来てレース終了後も自走で帰るのである。レース中の走りが強烈だったので、終了後、親分の小関さんに話を聞きに行った。360でなく450であった(当時450も発売いしていた記憶がある)。
サブ・ミッション装備(ディファレンシャル・ギヤ比を変えられる)合計前進6速、リバース2速になる。
また、チョークレバーがフロアに有り、計3種類のレバーを操作することになる。

ヘアーピンの立ち上がりなどでは、チョークを引きながらエンジン回転を100RPM刻みに操作する。
当時の、2ストロ―クは、逆回転してしまうことがあった。そうなると、いっぺんにエンジンが駄目になる。
また、キヤブレターは、ダイハツの600?だと記憶しているがアマルの大口径が装備されていた。

時には、S800やS600を抜いて、そん色なく走っていたのが、強烈であった。このレースをきっかけに、上州オートクラブに入るようになった。(その後、何回か船橋サーキットを走った)。


スバル360は非常に個性あふれる車で、フロントのスプリングはトーションバー・スプリングでカムにより車高調整が簡単にできるし、リヤはボルトを回せば同様に車高調整ができるし、さすがに飛行機屋が作った車なので軽くて操縦性が良く何しろ、軽自動車らしからぬ乗り心地と車内スペースがあった。
今でも軽自動車の他には無い傑作の1台だと思う。

発売当時は、2ストロークの混合ガソリンで(18:1〜20:1)でガソリンスタンドで混合ガソリンを売っていた。その後、分離給油になった。私のは初期型なので混合ガソリン車であるが、在る時、ガソリンを入れに行ったとき、スタンドが間違えて、ガソリンのみを給油してエンジンが焼きついて終わった。

自動車屋にてOHしてもらった時、クランクのベアリングの大きさを見てびっくりした何とブルバード1300と同じぐらいのベアリングの大きさである。これなら耐久力はあると感心した。(飛行機屋が作れば、まずは耐久力だと思う、壊れたら落っこちてっしまう)。

最近、日本の高速道路のサービス・エリアを見ると80%ぐらいがミニバンで寂しい限りである。欧米では個性豊かな車&バイクを作っているし、また、それらを理解し楽しんで乗っている人達もいるのだが・・・・